小さな城下町
車で北に30分、仙台市郊外に、宮床(みやとこ)というところがあります。
【七ツ森の一つですが山の名前はわかりません】
七つの山が連なっている「七ツ森」に抱かれるように、のどかな田園風景が広がっていますが、実は・・・。
江戸時代までは、伊達政宗の孫にあたる宗房を初代領主とする小さな城下町でした。
宮床伊達家です。
【宮床伊達家住宅】
この宮床伊達家から、仙台藩中興の英主といわれた仙台藩五代藩主伊達吉村が出るなど、伊達宗家との繋がりは相当深いものがあったようです。
【宮床伊達家住宅】
宮床歴史むらにある茅葺屋根住宅は、明治維新、最後の宮床伊達家の当主、十代伊達宗廣がお館下がりとなった時に移り住んだもので、以来伊達家住宅として使われてきました。
屋敷はよく農家の間取りに見られる、整形田字型四間取りの質素なものですが、納戸を除く全ての部屋に一部面皮付きの長押(なげし)が打たれていることや、立派な釘隠しがあること、欄間の細かく繊細な彫りなどから、この屋敷の格式の高さがうかがえます。
【橋と落ち葉】
その昔、小さいながらも城下町だったこの宮床には、宮床伊達家の遺跡をはじめとする数多くの歴史が息づいています。
【池の中の立木】
また、宮床は歌人原阿佐緒生誕の地でもあり、生家が復元されて公開されておりますので、いずれ機会がありましたらご紹介したいと思っております。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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【原敬生家とモミジ】
【原敬の生家は祖父直紀が嘉永3年(1850)に建てたもので、現在は5分の1程度が残っています。】
【生家とその庭】
【原敬が激務の合間に句作や思索にふけったといわれる別荘の8畳一間の書斎。昭和63年に鎌倉腰越から敷地内に移築。】
【別邸・介寿荘の倉;赤レンガ総2階の重厚なこの倉は、大正3年盛岡大通り3丁目旧古川端に建築された。以来66年間同地にありましたが、昭和55年記念館敷地内に移築、「原敬日記」もこの倉に収蔵されていました。】
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