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2007年2月18日 (日)

福島市民家園/その2

ここのところ珍しく仕事が忙しくて、写真を整理する暇もありませんでした。

2月3日に撮った“福島市民家園”の写真も、RAWファイルのまま、

ほったらかしにしておりましたが、今日になって漸く現像することができました。

・・・なので、今日は先日の記事“冬晴れの福島市民家園”の続きです。

例によって、民家園から頂いたパンフレットを参考にしながら、

ここに移設保存されている旧い建物たちをご紹介してまいります。

まずは、国指定重文の【旧広瀬座】からです。

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旧広瀬座は伊達郡梁川町の広瀬川川岸に当時の唯一の大衆娯楽施設として、

明治20年に町内の有志によって建てられた芝居小屋です。

舞台中央は回り舞台でその下には奈落があり、花道、ぶどう棚、

ちょぼ席など芝居小屋として必要なものはひと通り備えています。

舞台の裏手は楽屋になっており、板壁には当時来演した役者達の

落書きが多数残されているそうです。

このような芝居小屋は全国的にみても珍しく、

もう数棟しか現存していないのだとか。

【旧阿部家】

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福島盆地の北西山麓にあった普通農民住宅で、

江戸時代中期の1700年代後半に建てられたものと推定されています。

この時期の県北地方の普通農民住居の平均規模は26~28坪程度で、

旧阿部家は平均よりやや小さいそうです。

この住居は日常生活の中心となる「なかのま」が、

床板を張らない「土座(どざ)」であることが特色です。

軒も低く、開口部が少なく南側を除く三面は厚い土壁でおおわれた

大壁造りになっています。

【旧渡辺家】

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江戸時代後期に建てられた上層農民住居で、幕末には庄屋であったとの

口述や、菩提寺の寄進書から元禄年間には定住していたことや分家が

あったことなどがわかっています。

当時の上層農民住居の平均的規模は45坪程度だそうですが、

旧渡辺家はそれよりやや大きいそうです。

【旧奈良輪家】

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福島市街の南郊に建っていた上層農民(村役層)の住居で、

江戸時代中期のものだそうです。

「にわ(土間)」が異常な広さを持ち、

奥には一部屋の「ざしき」があるのがこの住居の特色です。

また側面と背面は厚い土塗りの大壁で、内部は暗く閉ざされており、

開口部が閉鎖的であることなど古い民家の要素を持っています。

【旧菅野家】

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福島市松川町の西郊に建っていた普通農民住居で、江戸時代中期のものだそうです。

「どま」の広さや正面を除く大壁造り、「ざしき」「なんど」の境の閉鎖形式など、

県北地方の旧い形式をよく伝えています。

この家の前の田んぼでは、毎年5月に多くの子供達で田植えをすることになっていて

、収穫したもち米は、秋の収穫祭で“刈り上げ餅”として振舞われるそうです。

【旧馬場家】

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南会津群南郷村の旧田沼街道(現289号線)沿いに建っていた上層農民住居です。

文化4年~5年(1807~8年)に建てられた、「馬屋中門造り」民家です。

「中門」とは鉤型に突き出た部分で、先端が出入り口になっていて、

その中には馬屋や便所があります。人と馬が一つ屋根の下で暮らしていました。

・・・とまぁ、今日はこんなところですかね。

桜や新緑、福島市民家園はこれからいい季節を迎えます。

皆さんものんびりと散策などいかがですか?

散策に疲れたら、園内にある“食事処/室石”がおすすめです。

“とろろそば”と“田舎しるこ”が絶品ですので是非お試しください

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今日の写真はこちらです。⇒「福島市民家園/その2

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