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2007年3月17日 (土)

よみがえった桃山極彩色

仙台藩伊達62万石二代藩主・伊達忠宗の廟所「感仙殿」と

三代藩主・綱宗の廟所「善応殿」ですすめられていた彩色復元と改修工事が

終わったと聞いて早速見学に行ってきました。

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「感仙殿」と「善応殿」は、

2001年に既に彩色復元が完了している藩祖伊達正宗の霊廟「瑞鳳殿」と共に、

創建当時の桃山様式の極彩色がよみがえり、

そのまばゆいばかりの鮮やかな色彩は私たちの目を奪います。

【藩祖伊達正宗霊廟「瑞鳳殿」】

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1636年(寛永13年)、70歳で生涯を閉じた伊達政宗公の遺命により、

その翌年に造営されたもので、桃山様式の威風を伝える豪華絢爛たる

廟建築として1931年(昭和6年)に国宝に指定されました。

しかし、惜しくも1945年(昭和20年)の仙台空襲で焼失、

現在の本殿・拝殿・涅槃門は1979年(昭和54年)に再建されたものです。

さらに、2001年(平成13年)に仙台開府400年事業として、

劣化による修復工事の他、

再建時にはなかった彫刻「獅子頭」が本堂左右正面に、

屋根にはそれぞれ竜頭瓦を復元し、創建当時の姿が完全に甦りました。

【二代藩主・伊達忠宗公御廟「感仙殿」】

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忠宗公は父正宗公の治世を引き継ぎ、法治体制の確立を進め、

新田の開発や治水、港湾の整備など産業・経済の更なる振興をはかり

領内の安定に尽力、仙台藩の基礎固めをなし遂げました。

忠宗公廟所「感仙殿」は

「瑞鳳殿」同様1931年(昭和6年)に国宝に指定されましたが、

戦災により焼失してしまいました。

現在の廟は、「瑞放殿」に続いて1985年(昭和60年)に再建されたものです。

再建時は焼失前を意識して“くすんだ彩色”でしたが、

2006年6月から着手された彩色復元工事では、

「瑞鳳殿」に合わせて桃山様式の鮮やかな彩色が施されました。

【三代藩主・伊達綱宗公廟所「善応殿」】

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幼い頃から芸術的な才能にたけていた三代藩主・伊達綱宗公は、

19歳から2年ほどの治世の後、幕府から逼塞隠居を命じられましたが、

その後の生涯は書画、蒔絵などに天分を発揮し、

優雅な余生を送ったといわれています。

「善応殿」も1945年(昭和20年)の戦災で焼失し、

1985年(昭和60年)に「感仙殿」とともに再建されました。

【藩政時代からの豊かな自然/経ヶ峰】

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伊達家歴代藩主のご廟のある「経ヶ峰」は広瀬川の清流に囲まれ、

ホトトギスやウグイスが囀る、とても街中とは思えないほどの閑静な所です。

戦災を免れた石造り階段の参道は藩政時代からのもので、

左右にそびえる樹齢380年、高さ45メートルにもなる杉の古木とともに、

仙台藩の歴史を物語る象徴です。

ここ「経ヶ峰」では4月中旬から下旬にかけて、

市内に咲く花より少し遅れて一斉に開花します。

400年という気の遠くなるような歳月をかけ、

周囲の杉と競うように成長した「紅しだれ」の大木をはじめ、

ソメイヨシノの古木がそれはそれは見事な花をつけます。

桜の咲く頃になったら、このページでまたご紹介したいと思います。

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