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2007年5月21日 (月)

豪農清藤家とその庭園

「盛美園」は、明治時代大庄屋を勤めた豪農清藤家24代盛美の手によって9年の歳月をかけ作庭されたました。明治時代に作庭された庭園の中でも、京都の無隣庵・清風荘とともに日本3名園のひとつに数えられる国指定の名勝です。

T_010_8 【神仙島から盛美館を望む】

豪雪地帯の青森県にも遅い春が巡って来て、ここ平川市の「盛美園」も長い冬篭りから目覚め、今年は4月15日から開園されています。

T_011_5 【池泉と枯池】

清藤家のルーツは遠く鎌倉時代までさかのぼります。当時の執権北条時頼の家臣だった清藤家初代盛秀は重大な主命を帯びて海路遥々十三湊までやって来たのですが、あいにく主命を果たすことが出来ませんでした。責任を痛感した盛秀は鎌倉へは帰らず、ここ猿賀の地に永住を決意したのです。

T_005_4 【盛美館から盛美園を望む】

この「盛美園」を作庭した清藤家24代盛善は、本業は農業でしたが政治家や経済人としても活躍した人物で、戸長や村長を勤める傍ら青森商業銀行・尾上銀行創立にその手腕を発揮しました。

この庭は津軽地方に数多く見られる武学流の神髄を示したものといわれ、わが国における代表的な庭園に数えられています。武学流とは江戸時代の初めの頃、都落ちしてきた公卿が、本来の仏教文化に、地方的な古神道文化の手法を取り入れて作ったことが始まりといわれています。

T_006_4 【盛美館】

「盛美館」は、庭園の造営が半ばに差し掛かった頃、庭園を鑑賞するために建てられました。完成は明治42年で、1階は和風、2階は洋風と判然と異なった建物が上下に重なっている例は他に無く、まさに明治時代の文明開化を象徴している建物として知られています。

T_014_6 【池泉】

盛美園の雪が解け、木々の雪囲いが外されてからほぼ1ヶ月、すでに桜は去り、この地方も初夏を迎えようとしていますが、そこは本州最北端青森のこと、朝晩はまだまだ冷え込みます。

朝8時少し前、私以外に誰もいない、音は小鳥のさえずりだけの「盛美園」に久しぶりの凛とした空気を感じました。

今日の写真はこちらです。⇒「盛美園」

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庭園」カテゴリの記事

コメント

青森まで行ったのですか。「盛美園」面白い建物ですね~。初めて見ました。建物の中はどうなっているのでしょう?外観と同じく下は和風、上は洋風なんでしょうかね。珍しい建物を見せて頂きありがとうございました。

投稿: sanpopapa | 2007年5月22日 (火) 00時42分

sanpopapaさん
コメントありがとうございました。
今回は仕事で青森出張の折に、少し早起きして撮ってきました。
盛美館の内部は残念ながら見られませんでした。私も是非見たかったのですが・・・。

投稿: kazuo | 2007年5月22日 (火) 23時11分

武学流庭園、聞いたことはありましたが初めて見せていただきました。
盛美館は文字通りの和洋折衷で、面白い建物ですね。

行って見たいけど、青森は遠いな~(笑)

投稿: yufuki | 2007年5月26日 (土) 01時39分

yufukiさん
コメントありがとうございます。
青森までは仙台からでも車で4時間はたっぷりかかります。
ですが、青森に限らず東北にはまだまだ隠れた名所が沢山ありますので、是非お越し下さい。

投稿: kazuo | 2007年5月26日 (土) 21時26分

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旧清藤辮吉氏別邸(明治41年築)。盛美館として有名です。2度目の訪問ですが、思いの外こぢんまりとした建物です。 [続きを読む]

受信: 2007年6月26日 (火) 04時00分

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