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2007年7月13日 (金)

平安の夢物語

雨の季節とは思えないほどの好天が続いていましたが、7月も中旬、やっと梅雨らしくなってきました。

霧雨にそぼ濡れる街の情景を写真にする程の撮影技術も持ち合わせず、この1週間、カメ

ラは防湿ケースに眠ったままになってしまいましたので、今日は以前に撮った写真でごま

かそうかなと思っていますので悪しからず・・・。

仙台から東北道を車で約1時間半、平安の昔に100年ものあいだ栄華を誇っていた藤原

の都、今ではひっそりとした静寂につつまれた、もうすぐ世界遺産に登録されるかもしれな

い「平泉」に到着します。

【牛車と平安の町並み】

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この日は、6月もそろそろ終わろうとしている頃の、この季節にはめずらしくカラッとした暑さの日でした。

今日は、「平泉」から車で20分、岩手県奥州市江刺区(おうしゅうし えさしく)にかつての

奥州藤原氏の壮麗なる平泉文化が再現されている「藤原の郷」のご紹介です。

藤原氏初代「清衡(きよひら)」は、前九年合戦のさなか、父、経清より生を受け、ここ江刺

で青年期まで過しました。

【牛車と平安の町並み】

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その後「後三年の合戦」が終結し、奥州の覇者となった清衡は大いなる野望を抱きつつ平

泉へと移りました。

平泉に移った清衡はまず、白河(福島県白河市)から外が浜(津軽半島の東岸一帯)に至

る道の1町(約109m)ごとに、10年がかりで笠卒塔婆を建てました。次に中尊寺の建立

に着手し、50歳の時に最初院、53歳で大長寿院、67歳で経蔵、そして69歳の時に金色

堂を完成させました。

T_018_1

さらに清衡60歳の時、紺紙金銀字交書一切経(国宝)5,300巻の奉納を思い立ち、江刺

郡益沢院で大勢の僧侶に写経を命じ、8年後の太治元年(1126)に奉納しています。

この年、清衡はその実力が中央にも認められ正六位上押領使(おうりょうし)に命ぜられています。

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平泉での約30年間、清衡は中尊寺建立をはじめ数々の大仕事を成し遂げ大治3年

(1128)73歳の生涯を閉じます。

【政庁】

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その後、清衡の子・基衡(もとひら)、そして孫の秀衡(ひでひら)によって平泉の黄金時代

が続きましたが、四代の泰衡(やすひら)に至り、源義経をかくまったことを理由に、源頼朝

に攻め滅ぼされ、栄華を誇った奥州藤原氏はついに滅亡してしまいます。

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ここ「藤原の郷」は、政治を行う場である“政庁”、三代秀衡の居館“伽羅御所”、義経の京

都の居館“義経屋敷”など、藤原三代ゆかりの建物の数々が再現されていて、すべて見る

のに急ぎ足でも2時間余りを要する程大きな規模です。この日も時間の関係で半分ぐらい

しか見学出来ませんでした。また、高橋克彦原作のNHK大河ドラマ「炎立つ」のロケに使用

されたところでもあります。

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藤原の郷からの帰り道、ハンドル越しに見る、5月に植えられた稲が力強さを増して一層

濃くなった緑が一面に広がる平泉ののどかな田園風景は、たった今見てきたばかりのきら

びやかな平安の大都市がかつてここに開かれていたとはにわかには想像させてくれませんでした。

松尾芭蕉が平泉を訪れ、奥州藤原三代や義経らの栄枯盛衰の移ろいに思いを馳せ、「夏

草や兵どもが夢の跡」と涙した時のように、この日の平泉も穏やかに晴れわたっていました。

今日の写真はこちらです。⇒「藤原の郷」

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