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2008年2月 9日 (土)

みちのく古川 “食の蔵「かむろ」”

宮城県の県北、大崎市古川に歴史情緒溢れる「食」のスペースがあると聞いて、

早速行ってきました。

第三セクターが運営するこの食の施設は、

寛政より受け継がれてきた橋平酒造店を中心とした

市街地活性化基本計画の一つとして再整備されたものです。

施設名は“醸室”。

“かむろ”と読むのだそうです。

【食の蔵“醸室”】

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【下町の路地を思わせる風情】

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“醸”と“室”のこの二つの漢字は醸造(じょうぞう)・麹室(こうじむろ)という酒造用語を用いた造語で、

「街に人・物・食が集まり熟成され醗酵し,

新しい魅力あるまちに生まれ変わるように」との思いを込め、

(株)醸室の前進の“緒絶橋(おだえばし)周辺商業施設整備計画検討委員会”の

メンバーであった橋平酒造店8代目佐々木淳一氏の提案により名づけられました。

【旧橋平酒造・母屋①】

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“醸室”は、

古川の街の中心部を流れる“緒絶(おだえ)川”にかかる“緒絶橋”のたもとにあります。

悲恋を表す枕詞にも使われる、この緒絶橋には悲しい物語が伝説として残されています。

その一つは、「平安の昔、嵯峨天皇の皇子の恋人白玉姫は、

王子を探し当てられず悲嘆の余り川にみを投げた。

玉の緒(生命)が絶えたところから緒絶川、緒絶橋と呼ばれるようになった。」というもの。

【旧橋平酒造・母屋②】 

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またもう一つが、「嵯峨天皇の御代、おだえ姫が皇后の妬みにあい、

陸奥の古川に追いやられた。

帝はおだえ姫との別れを惜しみ、勅使を向けることを約すが、

その後何年経っても帝の使いは無く、

おだえ姫は毎日緒絶川の畔で嵯峨天皇の使いを待ち続けながら、

この地古川で生涯を終えた。」という悲恋の物語。

【緒絶橋は母屋の手前/現在工事中】

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“醸室”の広い敷地に点在する蔵は大小合わせて全部で10棟ほどで、

旧橋平酒造店の蔵や母屋を改装して生まれ変わり、

懐かしさと新しさが調和した魅力的な空間となっています。

200年の歴史を持つ橋平酒造店は、寛政2年の創業で、

酒や味噌醤油の醸造を手掛ける傍ら、

天保5年の頃からは質屋業をも兼ねたと伝えられています。

【レストランや喫茶店に生まれ変わった蔵】

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とりわけ酒造りでは、この地方で3本の指に入る酒造家でした。

時は変わっても酒造りは営々として続き、

戦時中の企業整備もまぬがれて今日に至っています。

下戸の私にお酒を言う資格はありませんが、

ここ橋平酒造の大吟醸「緒絶の橋」はフルーティな香りとキレのある豊かな風味で、

結構な人気だそうですよ。

【レンガ造りの“麹室”もレストランに】

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この古くて新しい“醸室”の10棟の蔵は「食の蔵」「買い物の蔵」「観る蔵」に別けられ、

どの蔵も斬新なアイディアでお客を虜にし、連日の賑わいをみせているようです。

“醸室”の存在が、その道筋にある七日町商店街を初めとした近隣の商店街に、

人の回遊を生み出し、

一時はシャッター街と化してしまった“街”も今再び賑わいを取り戻しつつあることは

喜ばしい限りです。

【立ち並ぶ蔵々】

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ここの駐車場はせいぜい20台程度の広さしかありません。

これだけの規模の商業施設にしては狭すぎるのでは?と思いましたが、

近隣商店街の駐車場に車を分散させ、

買い物客がここに集中しすぎないようにとの配慮があるようです。

「街全体に賑わいが帰ってこなければ、

この“醸室”をつくった意味がありませんからねぇ。」は、

お昼に美味しいパスタとピザを食べさせてくれた蔵のレストランオーナーの言葉。

今日のアルバムはこちらです。⇒「食の蔵“醸室”」

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