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2008年5月18日 (日)

石段参道1,015段/山寺

「山寺」に行ってきました。

仙台駅からJR仙山線で約一時間、車窓に映る山々の新緑を楽しみながら

、たまには電車でのんびりと移動するのもいいものです。

通称「山寺」、正式には「宝殊山阿所川院 立石寺」(ほうじゅさん 

あそかわいん りっしゃくじ)といい、

松尾芭蕉が「閑けさや巌にしみ入る蝉の声」と詠んだ所です。

【五大堂を見上げる】

T_imgp1901

「山寺駅」を降りて正面の急峻な山を見上げると、

その頂上付近に山寺の目玉の一つ「五大堂」がマッチ箱のように小さくなって見えます。

この「五大堂からの眺望」が今日の目的なのですが、

そこにはなんと1015段の石段を登って行かなければなりません。

下から五大堂を見上げると、30階建てのビルの高さ位はゆうにありそうにも見えます。

30階を徒歩で・・・と、考えただけで膝が笑い出しそうな感じがします。

【根本中堂

T_imgp1903

ここ立石寺は、寺に伝わる「円仁置文写」の日付から、貞観2年(860)、

清和天皇の勅命により円仁(慈覚大師)が開山したと伝えられています。

しかし、寺創建にまつわる事柄については諸説あって、

後に円仁の跡を継いで天台座主となった安慧(あんね)が、

承和11年(844)から嘉承2年(849)まで出羽国の講師であったことや、

東国に天台宗を広める役割をしたことから、

立石寺の実質的な創立者はこの人物とする説もあるようです。

【山門】

T_imgp1904

確かに、

円仁はこの頃すでに60歳を越す高齢で、しかも天台座主という高位にあったことから、

この時期に今の山形県まで出向いてまで立石寺を建立したとは考えにくく、

実際は、

円仁の意を受けた安慧(あんね)らによって9世紀半ば頃から

徐々に寺観が整えられたとする説が一般的なようです。

【延々と続く石段】

T_imgp1913

300円の入山料を納め、山門をくぐり、いよいよ登山の開始です。

休日ということもあって、大勢の参拝客が思い思いの服装で、

これから遥か上にある「奥の院」を目指し、覚悟の登山をしようとしています。

参道は、急勾配であるためすべて石段。

上りきるには、早い人でも30分、遅ければ90分もかかります。

【仁王門】

T_imgp1914

途中、

人がすれ違えないほどに石段の巾が急に狭くなり渋滞するところもあったりして、

なかなかマイペースでは進めません。

リズム良く進めない・・・、これがまた疲れを倍加します。

【納経堂】

T_imgp1924

それでも、時折、

参道を下の方向から吹き上げて来るこの季節特有の若葉の香りを含んだ

涼しい風に助けられながらも、ほぼ順調に登ることができました。

【五大堂からの眺望】                      

T_imgp1927_3 

登山開始から約40分後、

下から豆粒のように見えた「五大堂」から見る景色はまさに絶景でした。

水筒から飲む冷え冷えのブラックコーヒーも、今日は格別の味です。

ここから階段参道の終着点である「奥の院」までは、もうすぐです。

【奥の院】

T_imgp1923

今日のアルバムはこちらです。⇒「山寺」

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