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2008年6月 8日 (日)

平和への代償/榴ヶ岡公園

東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地「クリネックススタジアム宮城」から

程近いところに、仙台市民の憩いの場とも言える「榴ヶ岡公園」があります。

都心のこの広い公園は、休日ともなると大勢の人々で賑わいます。

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ボール遊びに興じる人、読書をする人、太極拳のおじさん、

時には雀卓を囲んで真剣勝負?のグループなどなど・・・。

まさしく平和そのものといった感じです。

今ではすっかり“平和”公園となったこの「榴ヶ岡公園」も、

遡ること60数年、其処は今とはまったく別の世界でした。

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「旧大日本帝国陸軍歩兵第4連隊之跡」、公園入り口の石碑にはそう刻まれています。

「歩兵第4連隊」は、明治8年(1875)に軍旗親授から、

昭和20年(1945)8月31日のサイゴンにおける軍旗奉焼に至るまで、

実に70年もの長い間、全国13の連隊と共に旧大日本帝国陸軍を支えてきました。

その間第4連隊は、日清戦争・日露戦争・満州事変・支那事変に参加、

そしてついにはガダルカナル戦線で悲惨な運命を辿ることとなります。

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公園の片隅に、当時の歩兵第4連隊兵舎が仙台市の有形文化財に指定されて、

一つだけ残されています。

その説明書きにはこうあります。

「明治7年(1874)に造営された兵舎建築で、

宮城県内に現存する洋風建築では最古のもの瓦葺寄棟造り木造2階建てで、

漆喰塗りの大壁、建物角隅にはコーナーストーン、ガラス入り上下窓、

出入り口のポーチには洋風円柱、雲形の彫刻を有する階段等の特徴を持つ。

これらは、明治6年完成の名古屋第6連隊兵舎と似ていることから、

当時の兵舎建築の基準に則ったものと考えられる」

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この兵舎は終戦まで60年間にわたり旧陸軍の兵舎として使用された後、

昭和31年までは米軍が駐留、

その後昭和50年まで東北管区警察学校等に使用されました。

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内部はその都度改造されてきましたが、昭和53年文化財に指定された後、

明治37年の状態に復元されたそうです。

当時、この建物以外にも同様の兵舎が7棟残されていましたが、

「榴ヶ岡公園」整備のため昭和52年2月にすべて取り壊されました。

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第二次世界大戦終戦からすでに60年以上、

今や私達は紛争の無い平和を当たり前のように思っています。

しかし、この先未来永劫平和であるには、

それをを手に入れるために今まで支払った代償の大きさを

時々想い起こすことが必要なのかも知れません。

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