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2008年7月 5日 (土)

偉人の町/奥州水沢

カメラを持って外に出るのは約1ヶ月ぶりです。

梅雨の晴れ間、岩手県西南部の町「水沢」を訪ねました。

今は周辺自治体と合併し奥州市水沢区となっているこの「小さな町」には、豊かな自然と遠い過去までさかのぼる歴史とが作り出した魅力溢れる大きな“もの”でいっぱいです。

「食」の「水沢米」「水沢牛」、「技」の「南部鉄器」、「祭」の「日高火防(ひぶせ)祭り」「黒石寺蘇民祭」、「人」の「高野長英」「後藤新平」「斉藤實」など枚挙にいとまがありません。

T_imgp1990 【日高小路の旧武家屋敷群①】

藩政時代の水沢は、明治維新までの240年の間、伊達藩領北辺鎮護の任にあたった「留守氏」の支配が続き、町の中心部にはその時代の町割りが今でも残されています。

T_imgp1989                      【日高小路の旧武家屋敷群②】

その藩政時代の町割りに現存するいくつかの古い建物を見学しながらの留守氏御城下「水沢」の散策は、久し振りの外出ということもあり心が踊ります。

かつての武家屋敷通りの一つ「吉小路」に足を踏み入れると、まず最初に、武家住宅資料館として公開されている「内田家旧宅」へと誘われます。

T_imgp1966 【内田家旧宅①】 

T_imgp1962 【内田家旧宅②】

内田家の初代は、16世紀後半に留守政景(伊達政宗の叔父)に仕え、足軽奉行を勤め、この屋敷は慶応2年(1866)の「水沢家中家並覚牒」にある大番役・内田勘之丞宅とされています。

T_imgp1956 【内田家旧宅③】

弘化4年(1847)の内田家は、余目家に次ぐ家中第2位の96石2升の禄高だったそうです。

T_imgp1959                      【内田家旧宅④】

内田家旧宅は、茅葺きの四脚薬医門を表門とし、屋敷内には茅葺き主屋、塀重門、表庭、裏庭が残されていて、往時の姿が偲ばれます。

武家屋敷史料館を出て3分位歩いたあたりの古いお屋敷前に、「祝 後藤新平生誕150周年」の看板がたてられていました。

「後藤新平旧宅」です。

T_imgp1969 【後藤新平旧宅①】

留守家奥小姓として明治維新を迎えた後藤新平は、胆沢県庁給仕から須賀川医学校を経て医学の道を歩み、後年、徹底した科学的調査による卓越した先見性を持つ政治家として日本の近代化に貢献しました。

「大風呂敷」後藤新平の異名のもととなった東京市長時代の帝都復興計画はあまりにも有名です。

T_imgp1970                     【後藤新平旧宅②】

T_imgp1974        【後藤新平旧宅③】

この建物は18世紀中頃に建築されたもので、茅葺きの厠と板倉が主屋裏に残されています。

現在の間取りなどは、晩年の後藤新平によって修理されたものを今に受け継いでいるのだそうです。

T_imgp1978                      【後藤新平旧宅④】

それから、幕末の蘭学者「高野長英」もこの付近で生まれたはずなのですが・・・。

案の定、後藤新平旧宅が面しているかつての武家屋敷通り「吉小路」を西に暫く進んだ所に、高野長英生誕の地であることを示す石碑が建っていました。

ここから少し離れた場所に高野長英旧宅が残されていますが、残念ながら非公開で、写真撮影は成りませんでした。

自販機で買った冷たいブラック缶コーヒーで渇いたのどを潤しながら、長英生誕の地につくられた小さな記念公園で一服。

「吉小路」の外れにある「斎藤實記念館」に向かいます。

T_imgp1979                      【斎藤實旧宅①】

斎藤實は、安政5年(1858)水沢藩士・齊藤耕平の子としてここ水沢に生まれました。

明治6年(1873)海軍兵学寮(後の海軍兵学校)入学から昭和3年に退役するまで、人生の大半は海軍軍人として生きることになります。

退役後、昭和7年(1932)に第30代内閣総理大臣に就任するなど活躍の場を政治の舞台へ移しますが、昭和11年(1936)の二・二六事件の凶弾に倒れます。

T_imgp1982【齊藤實旧宅②】

T_imgp1983                      【齊藤實旧宅③】

齊藤實誕生地の屋敷内には、旧宅や書庫が残されています。

また旧宅に隣接する記念館には、二・二六事件を物語る弾痕のある鏡が展示されていて、事件の生々しさを今に伝えています。

ここまで来ると、急に空模様が怪しくなって来ました。西の空はすでに真っ暗です。

強い雨の予感。即、撤収を決めました。

すぐ近くの「日高神社」に参拝して、今日はこれで引き上げることにします。

T_imgp1986 【日高神社拝殿】

T_imgp1987                      【姥杉と拝殿】

「日高神社」は弘仁元年(810)、第52代嵯峨天皇によって創建されました。古代、この水沢地方は「日高見国」と呼ばれていて、社名もここから来ていると伝えられています。

三間社流(さんげんしゃながれ)造りの現社殿は、寛永9年(1632)初代水沢城主伊達宗利が改築したもので、国の重要文化財に指定されています。

T_imgp1988                      【姥杉】

境内の天然記念物「姥杉」の大木を見上げていると、まだ少し青空が残って入るのに大粒の雨が落ちてきました。

急いで車に戻ることにします。

延歴21年(802)、坂上田村麻呂が当時「日高見国」と呼ばれた水沢地方の首長「阿弓流為(あてるい)」を倒し、この地に150年間にわたる北東北の経営拠点としての「胆沢城」を造営してから約1,200年の歳月が流れました。

この「水沢」には、遠い過去からの繁栄の痕跡がまだまだ数多く残されています。

今日のアルバムはこちらです。⇒「奥州市水沢」

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コメント

ご無沙汰いたしております。
久しぶりに「雑記帳」、読ませていただきました。
いつもながらのシャープな写真と勉強になる記事、
堪能させていただきました。

内田家、後藤家、齊藤家、それぞれに見事なつくりで、
その上、保存状態がかなり良いように見えました。

水沢の方々の見識の高さを垣間見たようね気がします。

いつかは日高見の国、訪問したいと思います。

投稿: yufuki | 2008年7月 7日 (月) 16時08分

yufukiさん
コメントありがとうございます。
過分にお褒め頂き、入れる穴がどこかに無いものかと捜しております。
奥州市の南隣は、平泉です。今回残念ながら世界遺産登録は見送りとなってしまいましたが、今でもこのあたり一帯に残っている太鼓の昔からの長い歴史の痕跡は、心底世界に誇れるものだと思います。
機会がありましたら是非足を運んでみて下さい。

投稿: kazuo | 2008年7月12日 (土) 14時00分

はじめまして。
盛岡市内で広告の制作をしている者です。

現在制作中の広告にお写真をお借りしたく、ご連絡させていただきました。詳しくお話させていただきたく思いますので、私のメールにご連絡いただければと思います。

お忙しいとは思いますが、どうぞ宜しくお願い致します。

投稿: 村上 | 2009年1月16日 (金) 14時43分

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初めて鉄瓶を使う時は、お湯を沸かしては捨てることを2~3回繰り返し、鉄瓶独特の匂いを和らげるようにしてから、実際に使うお湯を沸かすようにします。以降は、お湯を沸かすたびに残りは全部捨て、蓋を取ったまま余熱で水分をとばすことで、錆びを防止するようにします。多少の空焚きをするのも良いのですが、あまり長時間空焚きをすると、本来の鉄瓶の場合は内面の酸化皮膜がとれてしまう恐れがあるので注意してください。また本来の鉄瓶は、毎日使う�... [続きを読む]

受信: 2008年7月15日 (火) 22時43分

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