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2010年4月20日 (火)

支倉常長の謎

せっかくなので、昨日の続きをもう少し・・・。

サンファンバウチスタ号を繰って太平洋を横断、

イスパニアとの通商交渉に命をかけた支倉常長ですが、

その後、英雄として讃えられるどころか歴史の表舞台から忽然と姿を消してしまいます。

なぜなのでしょう?宮城県大郷町の山林につくられた

「支倉常長メモリアルパーク」がその謎解きをしてくれます。

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宮城県文化財保護協会による碑文にこうありました。

「常長は伊達正宗の命により、遠くスペイン・ローマとの通商交渉のため、

慶長18年(1613)秋、

牡鹿郡月ノ浦を出航。7年の歳月をついやし元和6年(1620)秋に帰朝したが、

時既に鎖国と切支丹弾圧が全国に強行されていた。

仙台藩は元和8年常長死亡の報告を幕府に提出したが、

長途の困難な使命を果たした功臣常長を人目に触れないこの山林の中に隠し、

静かな余生を送らせた。

帰朝後30年後の承応3年2月、常長は84歳の天寿を全うした。

以来支倉別家で常長の義弟新右衛門家中の者が代々堅く世に秘して

墓を守って来たものである。」

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常長は今もこの森に静かに眠っています。

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