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2011年8月28日 (日)

太宰治記念館/斜陽館

「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである」と、あの太宰治が自著「苦悩の年鑑」で書いた家。

どんな家なんだろうと思い、所用で弘前まで行ったついでに旧津島家住宅のある金木町まで足を伸ばしました。

金木の町に入るとすぐにその「大きな家」は見つかりました。

カーナビのお世話になることもなく・・・。

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その「大きな家」は太宰が生まれる2年ほど前の明治40年に、父 津島源右衛門の手によって建てられました。

当時の大地主だった津島家の金融業店舗を兼ねたこの住宅は、一階11室278坪、2階8室160坪、それに付属建物や泉水のある庭園を含めると、宅地面積は実に680坪という豪邸です。

米蔵までもが日本3大美林のヒバを使って建てられたこの入母屋造りの治の生家は、今でも町の目抜き通りに悠然とした佇まいを見せています。

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建物の入口すぐにある銀行の執務室を思わせるような金融店舗の前を通って、中に入ると広々とした土間が広がっていて、その土間を挟むように敷かれた板敷はピカピカに磨き上げられていました。

この家に住んでいたのは使用人を含め15人ほど。

土間は、当時の使用人達の忙しく働く様が想像できて、実に楽しい空間です。

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1階は金融執務室を除いてはすべて和室で純和風の造りなのに対し、重厚な洋風階段の先の2階はどちらかというと洋館内部といったイメージです。

2階にある8つの部屋のうち洋室は1部屋だけなのですが、部屋と部屋とを結ぶ廊下が洋風だからなのでしょう。

この和様折衷が、太宰に「風情も何もないただ大きいだけ」と言わせたのかもしれませんね。

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建物は戦前まで津島家の住宅として使用されましたが、戦後になって人の手にわたり、旅館「斜陽館」となります。

それから数十年経った今、旧津島邸は、津島家住宅としての役目も、旅館としての役目も終えました。

しかし、「父の作った、ただ大きいだけの家」は国重要文化財にも指定され、今も相変わらず全国から多くの太宰ファンを集めています。

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本日のアルバムはこちらです。宜しければご覧ください。⇒「斜陽館2011年夏」

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