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2011年10月23日 (日)

志を得ざれば再びこの地を踏まず/野口英世

明治29年、野口英世が二十歳の時、生家の床柱に「志を得ざれば 再びこの地を踏まず」と刻んで、故郷三ツ和村を後にしました。

この床柱が当時のまま今も旧三ツ和村(現猪苗代町)の生家に残っていると聞き、行ってきました。

猪苗代まで往復で350キロぐらい、日帰りドライブには丁度良い距離です。

昨日からの雨が止み、青空も広がってきました。

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【野口英世の生家】

築200年以上の生家は、隣の記念館から伸びている大屋根によって手厚く保護されています。

小学校6年(もう50年以上も昔)の就学旅行で来た時よりもキレイに整備されているようでした。ただ、何かが足りないというか、「殺風景だな」というのが久しぶりに見た印象です。

コンクリートで覆われた敷地にぽつんと生家が建っているという感じで、何の「趣」も無くなっていました。このような被写体を撮るのは本当に難しいです。覗くカメラのファインダーに何かしらの「絵」が感じられなければ、シャッターを押す手にも力が入らないというものです。

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前庭もコンクリートの地面にされてしまっていますが、当時はどんなだったのでしょう。ひょっとすると、英世の母シカの耕す小さな畑かなんかだったのかもしれませんね。出来ればそれも当時のままに復元してほしかった。

敷地の片隅に、野菜を洗ったり洗濯をしたのではないかと思われる小川が残されているのがせめてもの救いです。ちょろちょろとした小さな水の流れを見ていると、働き者だったシカの姿が思い浮かびます。

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【英世が手に大火傷を負った囲炉裏】

母シカは、左手が使えなくなってしまった英世の将来を心配し、勉学に努めるよう勧めたそうですが、まだまだ「百姓の子は百姓になる」という考え方が強く残っているこの時代、並大抵の覚悟ではなかったはずです。

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【英世の決意を刻んだ床柱が残されている部屋】

この部屋には見学者が入ることができず、残念ながらその床柱は見ることはできませんでした。

英世の学資を得るのに必死で働いたシカは養蚕も手掛け、部屋という部屋は蚕棚でいっぱいになったそうです。

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肝心の英世決意の床柱は、生家内部立ち入り禁止となっていたために、残念ながらこの目で確認することは出来ませんでしたが、ここから中国、アメリカ、ヨーロッパ、中南米、アフリカへと大きく羽ばたいた英世の原点を垣間見たような気がしました。

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