2015年6月10日 (水)

東沢バラ公園2015

山形県村山市 東沢バラ公園 バラ祭り開催中です

午前11時 平日にも関わらず駐車場は満車状態

ですが 肝心の花は 残念ながら見頃は過ぎていました

来るのが少し遅かったようです

アップに耐えられる花は まったく見当たりません

いつもの年に比べて 今年はかなり早いような気がしますが

5月の異常高温のせいなのでしょうか

はたまた 昨夜の強い雨のせいなのでしょうか

T_dscf0359

T_dscf0360

T_dscf0371

T_dscf0374

T_dscf0378

T_dscf0382_2

T_dscf0386

T_dscf0388

T_dscf0387
【Fujifilm X-T1 18-55mm】

ブログランキング参加中!

“建物・街写真”バナーをポチッといただければ大変励みになります。

にほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年2月18日 (水)

輪王寺庭園/雪つり

仙台北山“輪王寺庭園”の雪つりが見事・・と聞き 来てみました

所詮“雪つり”なんて 雪の重みから木々を守るための単なる“雪囲い”に過ぎず

庭園の景観からすれば いわば“無粋”なものと思っておりました

それがなんで見事なの?と思いながら

しかし やはり来てみるものです

雪つりが施された冬の日本庭園が こんなに美しいとは

単なる雪囲いなんかではないんですね

庭師のこだわりが ぎゅーっと詰まった それはそれは見事なものです

T_dscf0124

T_dscf0122
【Fujifilm XT-1 18-55mm】

ブログランキング参加中!!

“建物・街写真バナー”をポチッといただけると大変励みになります。

にほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月17日 (火)

国指定名勝会津松平氏庭園“御薬園”

鶴ヶ城から徒歩15分、中央に心字の池を配した回遊式の見事な借景庭園です。

“御薬園”という名称は、かつて各種薬草を栽培する薬草園であったところに由来します。

T_dscf1283

T_dscf1289

【fujifilm XE-1】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月26日 (火)

Emiko's Garden 2012

小学校の同級生、恵美子さんの庭です。

本格的なイングリッシュガーデンは、今年も見事でした。

先週の台風4号の影響で一週間置いての見学となり、すでに見ごろは過ぎているとのご説明でしたが、なんのなんの十分すぎるほどに楽しませて頂きました。

見学終了後には、オーナー手作りのランチ。料理の腕前にもますます磨きがかかっていました。

選りすぐりの食後の紅茶と、お土産に頂いた花束に溜息が出るほどに感激し、この数時間はまさに至福の時でした。

T_r0011312

T_r0011319

T_r0011313

T_r0011320

T_r0011315

T_dsc_0316

T_dsc_0309_2

T_dsc_0310


T_dsc_0306


T_dsc_0307


T_dsc_0304


T_dsc_0308


T_dsc_0314


T_r0011321

T_r0011326_3

T_r0011327

T_r0011314


T_dsc_0313


T_dsc_0318_2

【Ricoh GRDⅣ】【Nikon D7000 Nikkor18-55mmVR】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月15日 (水)

Emiko's Garden2011

Emikoさんの庭は今年も見事です。

庭のオーナーは、小学校の同級生。

バラをメインに数十種類の花々が咲き乱れる見事なEnglishGardenです。

押しかけた同級生仲間6名、オーナー手作りのデザート・紅茶付のランチに舌鼓を打ちながら花談義に時を忘れました。

T_r1002444

T_r1002437

T_r1002439

T_r1002440

T_r1002441

T_r1002442

T_r1002443

T_r1002445

T_r1002446

T_r1002447

T_r1002448

ブログランキング参加中sign03

宜しければクリックで応援お願いします。にほんブログ村 写真ブログ ノンジャンル写真へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年8月24日 (火)

藤田記念庭園

日本商工会議所初代会頭「藤田謙一」の庭園が、弘前城のすぐ近くに残されております。

T_l1020774

明治6年(1873)弘前市に生まれた藤田謙一は、明治法律学校(現明治大学)入学のため19歳の時上京、明治24年のことでした。

T_l1020777

上京した藤田は、熊野敏三法学博士の書生、大蔵省勤務を経て、明治35年にタバコ製造販売業の岩谷天狗商会に支配人として入社、以後60社以上の会社代表や取締役に就くことになります。

T_l1020768

その東京商工会議所会頭を経て、昭和3年(1928)日本商工会議所初代会頭に就任、藤田は日本屈指の財界人として活躍しました。

T_l1020773

この庭園は、藤田が大正8年に別邸を構える際、東京から庭師を招いてつくらたといわれ、6,600坪もある広大なものです。

T_l1020770

園内は高さ13mの崖をはさんで、高台部と低地部とに分かれており、高台部は岩木山を眺望する借景式庭園に洋館、和館が建ち、低地部は池泉回遊式庭園で、季節によって花菖蒲、ツツジも楽しむことが出来ます。

T_l1020775

高台部にある木造平屋建ての和館は、昭和12年(1937)板柳町に藤田の本宅として建てられ、昭和36年(1961)に現在の場所へと移築されたものです。

T_l1020789

T_l1020755

T_l1020779

高台部の木立の中にひっそりと立つ木造モルタル2階建ての洋館は、藤田の別邸として建てられたもので、大正時代の浪漫を感じさせてくれる佇まいです。

T_l1020781

T_l1020762

この庭園は、藤田の私邸として整備されたものを、藤田の死後、昭和62年(1987)に弘前市が買収し、復元整備を経て平成3年(1991)に開園されました。

平成15年(2003)には、国の登録有形文化財に指定されています。

それにしても、こんなに大きな庭園が街のど真ん中にあるなんてとても信じられません。

聞けば、東北地方では平泉にある毛越寺庭園に次ぐ大きさだとか。

今日のアルバムはこちらです。 宜しければご覧下さい。⇒「藤田記念公園」

ブログランキング参加中です。クリックで応援お願いします⇒ にほんブログ村 写真ブログ フォトエッセイへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月 1日 (金)

日本最古の公園

福島県立自然公園「南湖公園」、日本最古の公園です。

T_p1000173  

白河市にあるこの公園を私が訪れたのは11月7日、まだそちこちに紅葉が残っている頃でした。

それほど忙しい分けではなかったのですが、撮った写真の現像がやっと終わり、3ヶ月遅れの投稿となってしまいました。

T_p1000170

「南湖」は白河藩主松平定信(楽翁公)により、1801年に造園されました。

「南湖」の名は、白河城の南に位置していたことからそう名づけられたと言われておりますが、李白の詩句「南湖秋水夜無煙」からとったとの説もあるようです。

T_p1000169

T_p1000168

定信は造園にあたって、身分に関係なく全ての庶民が憩える「士民共楽」という思想を掲げ、「共楽亭」と称する茶室を建てるなど、士民と楽しみを共にしたといいます。

T_p1000171

T_p1000172

T_p1000174

T_p1000177

T_p1000176

T_p1000180

T_p1000181

T_p1000184

T_p1000183

T_p1000175

T_p1000185  

T_p1000186_2 

T_p1000187

T_p1000188

T_p1000194  

今年で創設より200年余、時の流れに磨かれた公園は、松、吉野桜、嵐山の楓など四季折々に典雅な風趣をたたえ、花と緑と水の園として市民をはじめ多くの人々を魅了し続けています。

T_p1000178

最後までご覧いただきありがとうございました。

ブログランキング参加中です。クリックで応援お願いします。⇒にほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月29日 (火)

大都会の中のオアシス「日比谷公園」

LUMIX GF1の試し撮りを兼ねて、今日は日比谷公園の散策です。

T_p1000014

今にも泣き出しそうな空模様です。

本当はこのカメラが映し出す空の青さを確かめたかったのですが・・・。

どこかで聞いた「空の青に弱いのでは?」というLUMIX評が気になっていましたので。

T_p1000030

まぁ、それはまた後日ということにして、久し振りの日比谷公園を楽しむことにします。

お日様は無いけれど、気温23度、暑くも寒くもなく、案外散歩日和かも。

T_p1000035 

日比谷公園といえば、何年も前のことですが、松本楼の10円カレーをもう少しのところで食べ損なったことを思い出します。

機会があれば、また・・・と思ってはいますが、仙台に帰った今ではなかなかそのチャンスが無く、今年も又その日は過ぎてしまいました。

T_p1000031

日比谷松本楼は、1903年(明治36年)、日比谷公園開園と同時にオープン。

当時としては珍しい洋風レストランの開業のニュースは、早速人から人へと伝えられ、東京でも指折りの人気店となるのにはそんなに時間がかかりませんでした。

T_p1000032 

この初代建物は1923年(大正12年)の関東大震災により焼失、バラックでの営業から漸く復活した2代目の松本楼は、GHQに接収されるなどの憂き目に会いながらも、引き続き人気のあるレストランとして日比谷公園の顔といわれるまでになりました。

T_p1000018

しかし1971年(昭和46年)11月19日、沖縄返還協定反対デモが日比谷公園内で激しさを増す中、過激派学生が投げた火炎瓶によって、この2代目松本楼も焼失してしまいます。

T_p1000027

古くは孫文や、中国の胡錦濤国家主席が訪れ、高村光太郎の智恵子抄をはじめ漱石や松本清張などの作品の舞台ともなった松本楼焼失の知らせに、全国から再興を望む声が次第に大きくなりました。

T_p1000043

そして、2代目焼失から2年後の1973年9月26日、3代目松本楼は漸くオープンに漕ぎ着けるのですが、10円カレーは、このときの人々からの励ましに感謝の意を示す記念行事として始められたものです。

T_p1000008

さて、肝心の日比谷公園ですが、幕末までは松平肥前守などの屋敷地でした。

T_p1000037

その後明治の時代になって、一時期は陸軍の練兵場として使われたりしましたが、当時の東京市の手により、日本初の「洋風近代式公園」として1903年(明治36年)6月1日に開園しました。

T_p1000042

今でも広く利用されている園内の大小の野外音楽堂や公会堂が、ちょん髷の時代からそう遠くないこの明治の時代の公園設計に既にあったと聞き、本当に驚きです。

T_p1000041

その面積約4万9千坪、樹木約3千本、花壇には色鮮やかな花が1年中咲いている日比谷公園は、大都会東京のオアシスとして、今日も大勢の人々が訪れていました。

T_p1000038

園内を一巡し、そろそろ帰ろうかなと公園出口に向かって歩きかけた時、ふっと気がつくと、どこか遠くの方でセミの声が・・・。

まさか?!

もうすぐ10月だというのにね。

気のせいかな?

T_p1000009

本日のアルバムはこちらからどうぞ。⇒「日比谷公園」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月25日 (金)

東北の大地主「斎藤氏」

JR石巻線前谷地駅から徒歩10分のところに、秋田の池田氏、酒田の本間氏と並び、近代における東北三大地主の一人だった齋藤氏の屋敷の一部と庭園が残されています。

T_043

かつてホテル仙台プラザの隣にあった「斎藤報恩会館」のことは、仙台在住の方であればご存知の方も多いと思いますが、運営母体の「財団法人斎藤報恩会」を設立したのがこの斎藤氏です。

T_032

大正12年(1923年)、宮城県桃生郡前谷地(現石巻市)に田畑1500haを有する大地主斎藤家第9代当主善右衛門は、「財産は神仏よりの供託物にして私有物に非ず」の信念から、学術研究助成のために私財300万円を投じ斎藤報恩会を設立しました。

T_041

斎藤報恩会は、後に設立される三井報恩会や服部報公会に大きな影響を与えたとも言われており、以来多くの研究活動が本財団の支援を受けました。

八木アンテナで知られる旧東北帝国大学工学部電気工学科の八木秀次教授もその一人です。

T_001 

斎藤氏のルーツは、葛西氏の家臣斎藤壱岐とされ、葛西氏滅亡後帰農。7代目の弟善九郎が前谷地に移り初代となった時から、前谷地斎藤家の歴史が始まります。

T_029

2代善兵衛の時に酒造業を始め、4代善次衛門の時に大肝入に、6代目善右衛門の時には永代大肝入格となり、さらには飢饉の際の救済事業の功績により郷士格となり4貫175文(40石1斗7升5合)の知行を与えられるまでになったのです。

その後も斉藤家は発展を遂げ、ついには仙台藩領内屈指の富豪と言われるまでになります。

T_018

当の9代善右衛門は、莫大な資産を背景に会社を設立、衆議院議員として政治の舞台で活躍するとともに斉藤報恩会を設立し、その後の文化発展に大いに尽くしました。

T_006 

しかし、時は移り昭和の時代に入ると、齋藤家のそれまでの勢いは徐々に衰えて来るのですが、心血を注いできた報恩会にもその影響が出始めます。

特に戦後の激しいインフレでは報恩会の学術研究支援のための基金が大幅に目減りしてしまいます。

T_028 

そのため貸しビル業の事業などを展開し、目減りした基金の利子を補填してきましたが、その後の低金利の影響で財団の運営がいよいよ厳しくなり、平成18年(2006年)、財団のシンボルともいえる斎藤報恩会館の土地建物を売却、改めてその事業を学術振興に絞ることになったのです。

T_014

さてこの辺で、斎藤氏邸宅とその庭園に話を戻しましょう。

斎藤家旧宅敷地内には、本宅こそ既に売却され撤去されていますが、日本庭園をとり囲むように使用人住居棟や蔵など多くの建物が残されています。

T_012_2

斎藤氏庭園は、第9代当主善右衛門によって明治後期につくられました。

この庭園は茅葺きの広間と呼ばれる建物を景観の中心に置き、それをとり囲むように平庭、園池を配しています。借景ともなっている庭園背後の小高い丘陵の麓には「宝仙窟」と呼ばれる深い岩窟があり、ここから出る湧き水が園池の水源となっています。

T_011

邸宅や周辺の丘陵地も庭園と一体のものとした造園技法は、近代の庭園のなかでも学術上の価値が高いと評価され、平成17年(2005年)7月に国の名勝に指定されました。

T_021

しかし、今日の名勝斎藤氏庭園は少々荒れ気味。

最近になって庭園の管理は斎藤家から石巻市に移ったのですが、ここも財政難なのでしょうか、整備が不十分な印象を受けたのは私だけではないはずです。

T_010

平成15年に発生した宮城県北部連続地震により、庭園は大きなダメージを受けたのですが、蔵の一部は今も崩れたままとなっていて、シートで覆われたその姿は痛々しいほどでした。管理担当の方のお話では、修復にはまだ相当の期間が必要とのこと。

T_034 

地元の発展に私財を投げ打ってでも尽力してきた斎藤家、その斎藤氏が残したこれらの貴重な文化遺産を、今度は私たちの手で守っていかなければ・・・。

T_003   

いつになるか分かりませんが、修復なった頃にまた来て見ようと、地元宮城県をこよなく愛した斎藤氏一族に思いを馳せながら、庭園を後にしました。

今日のアルバムへはこちらからどうぞ⇒「斎藤氏庭園」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月 1日 (土)

泉水に映る名石と緑

今日の写真は、10月25日に撮影したものです。

前日から仕事で東京に滞在していたこの日、得意先バイヤーとの約束時刻午前11時まではまだ少し時間があるし・・・。

何気なくホテルのパンフレットを見ていると、周辺観光スポットとして「清澄庭園」が紹介されているのが目にとまりました。

宿泊先ホテルのある大手町から地下鉄半蔵門線で三駅目、清澄白河駅からすぐ近くとのこと。

天気は上々、Leica D-Lux3をカバンに入れ、早速庭園散策と洒落込むことにしました。

T_l1010013_2

T_l1010014_2

東京在住の頃、「清澄公園」の名前だけは知っていましたが、見るのはこの日が初めてでした。

それにしても、都心にこれだけの規模の日本庭園があるとは・・・。

私の想像をはるかに超える見事な庭園でした。

パンフレットには、この庭園は江戸の豪商、紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えられ、その後、享保年間(1716~1736)に関宿の城主久世大和守の下屋敷となり庭園のもとが形造られた、とあります。

T_l1010045      

時は下って、明治11(1878)に岩崎弥太郎がこの邸地を社員の慰安や貴賓を招待する場所として造園を計画、明治13(1880)年に「深川親睦園」として開園しています。

その後も、造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水をはじめ築山、周囲には全国から取り寄せた名石を配して明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」として完成しました。

T_l1010034

T_l1010051【泉水】

「泉水」は、広い池に「松島」「中の島」「鶴島」の三つの島を配し、その昔は隅田川から水を引き、東京湾の潮の満ち引きによって微妙に変化したといわれていますが、今は雨水でまかなわれています。

水面に遊ぶ小鳥達、水面に映る緑の木々は、人々に心の安らぎを与えてくれます。

T_l1010056                   【名石】

この庭園には、岩崎家が自社の汽船で名石を全国各地から集め園内に無数に配置されていて、まるで「石庭」を見るかのようです。

T_l1010040                   【涼亭】

日本情緒を豊かに醸し出している数寄屋造りの「料亭」は、明治42(1909)年に国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てたものです。

T_l1010048                   【磯渡り】

満々と水をたたえた池の端には、石が飛び飛びに置かれていていて、その上を歩けるようになっています。

磯を渡るように歩いて行くと、池の魚や水面に映る木々の緑など、景観の変化を楽しむことが出来ます。

T_l1010055                   【大正記念館】

大正記念館は、そもそも大正天皇の葬儀に使われた葬場殿を移築したものですが、戦災で焼失してしまいました。現存する記念館は昭和28(1953)年に貞明皇后の葬場殿の材料を使って再建されたものです。

T_l1010028

T_l1010015 

平日でしかも早朝だったこともあって人の姿もあまり無く、都心とは思えないほどの静けさ。

暫し仕事を忘れ、心静かに日本文化の粋を満喫しました。

さあ、そろそろ得意先の待つ大手町に行かなくちゃ・・・。

今日のアルバムはこちらです。⇒清澄庭園

最後までご覧いただきありがとうございました。ブログランキングに参加中です。宜しければクリックで応援お願いします。にほんブログ村 写真ブログ 建物・街写真へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)